EDの原因かも?妻と結婚した喜びと悲しみ その②

カフェカップ EDになった僕と妻

このブログは広告表示を含みます。

事故後のウツや、女性恐怖症を克服し、結婚することも出来ました。
やわらかゴーレムです。

 

まさか、悲惨な人生を歩んでいた自分が、結婚することが出来るとは思いませんでした。

でも、【叶えたい。絶対に叶える!】と思っていたのも事実です。

絶対に結婚するんだ!と思っていなかったら、何も行動に移せなかっただろうし、克服できなかったと思います。

やわらかゴーレムの結婚は大きな出来事だった。

やわらかゴーレムも、人並みに結婚することが出来たのは大きな喜びでした。
人生の大きな目標の1つは達成したのです。

 

人並みの幸せをつかむというのは、月並みなものだと思いがちですが、以前の自分から見たら「夢のまた夢」でした。

 

 

人生のどん底だと思う日々は、普通の生活ですら、夢のように美化してしまいます。
いま【普通の暮らし】と思っているものも、失ってしまえば無くなります。

普通の日々も、健康も、一度失ってしまったら、元に戻ることはないのですから。
ただ、それに慣れて、次第に普通だと感じるだけなのです。

 

結婚は、人生の転機の一つに挙げられています。

まったくの赤の他人が、一生のパートナーとして連れ添うことになるのですから。

同じ家に住み、飲食をともにし、就寝時も同じベッド・・・そのまま一生涯過ごせるかもしれない。
まさに夢のような、未知の世界です。

 

やわらかゴーレムも、家族を持つことと、豊かな生活を送るのにしっかり働かなくては!と、ヒシヒシと責任を感じていました。

やわらかゴーレムも、情けなさに涙しました。

結婚した後の喜びと言えば、妻の妊娠です。

絶望的、どん底人生だったゴーレムも、一人の親になれるのかと思うと、胸が高鳴りました。

胸が高鳴る。ジーンとする。感慨深い。もっと頑張ろう。
不慣れな仕事は、忙しかったけれど、頑張れる理由が一つ出来ました。

 

 

しかし!

 

やわらかゴーレムの人生は、そう上手く行くはずもありませんでした。

 

 

妻は、初めての妊娠を告げられた時、信じられないような気持だったそうです。

検査薬で調べてから、すぐ病院へ行ったあとでも、すぐに生まれるわけではないので「え?ほんとうに?」と、疑う気持ちがあったのです。

 

 

男の子?女の子?どっちが生まれるんだろう?名前も考えなくっちゃ。
何が必要になるんだろう?本当に未知の体験の始まりです。

 

ところが!

 

次の検診で、流産を医師に告げられた時、あまりのショックに涙があふれたそうです。

妻は流産の手術となったことを、【やわらかゴーレム】に何度も電話をしていました。

ごめんなさい。

【やわらかゴーレム】はその時、クレーム処理に追われていて一度も電話を取ることが出来ませんでした。めちゃくちゃ忙しかった。いつも休憩も昼食も取れなかった。

 

妻からの着信は何度も入っていました。
どんなに仕事が忙しくても、電話に出られなかったことが悔やまれます。

「ちゃんと育つのかなぁ?」

「大丈夫だよ。」

なんて言っていたのに。

 

どうしようもない無力さを感じました。

手術が終わってから、自分にも原因があったのかと、かなり落ち込みました。

 

やわらかゴーレム、涙涙涙、再び。

一年後に、二度目の妊娠が判明しました。

 

胎嚢しか見えないというので、二週間後に一緒に産婦人科へ行ってみることになりました。

胎嚢と赤ちゃんの影は見えましたが、心音はありませんでした。
医師は、何度か角度を変えて診ていたようですが、何も反応はありません。

二度目の流産です。

 

「流産ですね。手術はいつにしますか?」と、サクッと言われたことは正直きつかったです。
まるで、胸に見えない物質が刺さったような、重くるしい感じがしました。

 

先生は男女居ましたが、流産という言葉をオブラートに包むことはなく、使い慣れた感じです。病院では、流産は珍しいものでも、なんでもないのでしょう。

妊娠した女性が一定数は受診をされるのですから、その一部の女性が残念な結果をむかえるのは、むしろ普通なのかもしれません。

 

それがたまたま、うちの妻だっただけなのです。

 

二度も流産をしてしまったことは、お互いに精神的ダメージが大きかったです。

子供が育たないのは、自分の精子がダメなのではないか?またもや不安に駆られました。

なぜなら、ゴーレムが子供の頃は怪我が多く、レントゲンを良く撮っていたからです。

 

レントゲンなどの放射能の影響は【良くない】と、どこかで聞いた気がします。
二週間以上期間が開いていれば、問題はないとのことですが、気になってしまいます。

やはり、自分のことを責めてしまいました。

どちらに原因があるとも言いにくい状況で、相手を責めるということはありませんでした。

また、妻も「自分に原因があるのでは?育ちにくい体質とか、卵子の老化とかの問題があるのでは・・・。」と自分を責めていたようです。

 

卵子も、精子も老化するので、どちらのせいと決めることはしませんでした。

 

 

初期の流産は、赤ちゃんの遺伝性疾患、先天性異常が原因とのことで、病理検査では詳しい原因まではわかりません。

 

もしも、お金をかけて原因を追究して、分かったところで、流産を止める方法も薬も、世の中には存在していません。

 

なので、それ以上の詮索はしませんでした。

 

やわらかゴーレムに痛恨の一撃が下った瞬間

それから数カ月して、妻と一度目のフニャな夜が訪れました。

 

※手術後の性交には、三か月以上の期間を開けています。

「あれ?」

 

おかしいと思いつつも、性的な刺激に対して、途中からフニャっとしたままなのです。

 

性交の途中で、男性器がしぼんで継続できなくなる「中折れ」になってしまったのです。

一度だけなら、疲れのせいに出来たと思います。

 

しかし、「うまくいかないのではないのか?」という考えが頭の中をぐるぐると駆け巡りました。

 

その次も、またその次も、性的な刺激に対して、フニャフニャを体験するようになりました。

自分の男性としての機能も、失われていきました。

性交がうまくできない、上手く行きそうにない、ちっとも出来ない。

だんだんと、悪いループにはまっているようでした。

コメント

  1. […] […]

タイトルとURLをコピーしました